実名コミュニケーションのFacebookは本当に楽しいのか?

ここ2週間ほど、Facebookのお試しアカウントをときどき弄っていた。外部ブログとのリンク、Twitterとの連携、プライバシー設定、公開レベルの変更など、調べておきたいと思っていたことはほぼ確認できた。それで、これからFacebook入門の記事でも書くのかというと、実はそうではない。

Facebookを弄っていて気になったのは、実名コミュニケーションというのはほんとうに楽しいのかという根本的な問題だった。今日は、その辺りのことを書いてみた。

Facebookのプライバシー保護

Facebookでは実名を公表することを強く推奨している。基本的にはリアルな世界での知人からバーチャルな世界に入るという発想だ。もう実名でなければFacebookを楽しめないとまで言い切っている。これは、初期の頃のMixiとよく似ている。ただ、Mixiではその後、実名公表によってさまざまな問題が生じて、今では「実名を公表する際は十分に注意しましょう」というスタンスに変わっている。

実は、Facebookにおいてもプライバシー問題は以前から指摘されている。今でもそれを懸念する声は絶えない。しかし、それでもFacebookはあくまで実名でのコミュニケーションが前提だというスタンスを変えていない。プライバシーを最大限に保護するということにより、この基本方針を貫こうとしているようだ。次のスクリーンショットは、Facebookの「アカウント」メニューから、プライバシー設定の検索で、「公開検索結果」のチェックボックスを外したときの状況だ。



もう、タイトルバーからhttp://www.facebook.com/(自分のユーザーネーム)と打ち込んでも、名前や友人情報などが表示されなくなった。GoogleやYahooなどの検索サイトにも引っかからなくなったのはいうまでもない。

日本型SNSのMixiは日本社会の縮図

このブログに投稿した5月9日の記事で、私はこんなことを書いていた。

Facebookが完全勝利することはあり得ないでしょうが、Mixiに代表されるような日本型SNSにもそろそろ限界点が見え始める頃です。

年末までにFacebookが日本市場で攻勢を強めてくるという予想は、ある種の勘のようなもの。別に根拠はない。だが、上記の見識は今も捨てていない。その理由として次のような記述もした。

世界の潮流は確実にオープンかつリアルタイムのコミュニケーションに向かっています。

この見識も変えるつもりはない。だが、このオープンという言葉が少し舌足らずかもしれない。ここでいうオープンとはオープンアーキテクチャという意味なのだが、もうひとつ、社会構造そのものという意味も込めていた。

こうやって考えるいくと、日本型SNSの代表ともいうべきMixiが持つ、ある種の閉鎖性は、日本の社会構造の縮図だと考えることもできる。

Facebookを楽しむためには

Facebookを弄った感想を正直にいえば、今の日本の社会構造、国民性のままでは、実名コミュニケーションに基づくSNSは実に面白くないものになりそうだ。実名を公表することで、本音と建前を使い分けなければならなくなったり、ある種のお付き合い的な繋がりだけになるならば、SNSなど利用する価値はほとんどない。また、初期のMixiが遭遇したようなプライバシー問題も起こるだろう。

ただ一方で、日本人がもう少し公開の場で議論する習慣を身に付け、社会全体に、その人の社会的な地位や立場を離れて、人と人として本音で議論しようよという機運が高まるなら、Facebookが謳う実名コミュニケーションは実にエキサイティングな手段ということになる。これを実現する社会インフラが、必ずしもFacebookでなければならないというわけではもちろんない。MixiやGREEがFacebookのいいとこ取りをすればそれでもよいわけだ。要するに、結論としては、それを使う人の意識次第ということになるだろう。

日本はオープンな社会に向かうのか

もともと、Facebookはアメリカの大学生の間で広まった。さまざまなシガラミから自由な学生にとって、実名を公表することには何の問題もないだろうし、また、アメリカという国そのものがオープン性を求める社会でもある。

何でもアメリカに追随するというのもどうかと思うし、四六時中議論し続けなければならない社会というのも、逆に住みにくい。ときには沈黙する時間もほしいものだ。けれども、私個人の嗜好を超えて、日本社会が今の八方塞がりの状況から抜け出すためには、すべての分野でオープン化する以外に道はないようにも思える。

その観点からいえば、勝つか負けるかとかという次元を超えて、Facebookには少しばかり日本市場を掻き回してもらいたいという気もする。ちょうど今のTwitterブームのように、ときにはカルチャーショックも必要なのだ。その結果、MixiがTwitterや外部ブログとの連携を強化して、オープン化に向かえば、私個人としては大満足だし、多くのMixiファンもそれなりに恩恵を受けることができるのではないだろうか。

最後に、前回の投稿から、従来の「ですます調」の文体から、「である調」に変わったということにお気づきだろうか。どうして、文体を変えたかというと、ブログを書く文体と仕事で文章を作るときの文体(お役所向けを除く)が同じだと気づいたからだ。そして、文体を変えてみると書くことが実に楽しくなった。この楽しいという感覚は、何かを継続するためにとても重要なことだ。

だから、多くの人が楽しいと感じるか感じないか、最後はそこが決め手となるに違いない。要するにそれがFacebookなのかMixiなのか、別の何かのなのかは別として、多くの人に楽しいと感じさせたSNSが市場を獲得するに違いない。本当は、実名コミュニケーションであるかないかはあまり重要な問題ではないのかもしれない。

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